うちの父が運転をやめません ー止められない事情とは?

こんにちは  さくら終活の大西です。

この頃、垣谷美雨(カキヤミウ)さんにはまっています。垣谷美雨さんは1959年生まれの女性で、私と同世代。著書のテーマは、政治・貧困・ジェンダー・妊活・婚活・終活等と多岐に渡ります。どの小説を読んでも「そうそう。そんなこと言われるよね。あ~そういう解決法が良いのね。」と共感しきりです。

今回は、『うちの父が運転をやめません』の感想をお話いたします。

内容は(「BOOK」データベースより)ご紹介します。

「また高齢ドライバーの事故かよ」。猪狩雅志はテレビニュースに目を向けた。そして気づく。「78歳っていえば…」。雅志の父親も同じ歳になるのだ。「うちの親父に限って」とは思うものの、妻の歩美と話しているうちに不安になってきた。それもあって夏に息子の息吹と帰省したとき、父親に運転をやめるよう説得を試みるが、あえなく不首尾に。通販の利用や都会暮らしのトライアル、様々な提案をするがいずれも失敗。そのうち、雅志自身も自分の将来が気になり出して…。果たして父は運転をやめるのか、雅志の出した答えとは?心温まる家族小説!

とあります。

以前は、切れるのは若者、暴走運転するのも若者でした。今やどちらも高齢者です。若者はそもそも少ないし、草食系でだんだん穏やかになっている印象があります。

高齢者はどんどん寿命が延びていますが、認知症でなくても判断能力や体力・瞬発力は下がってきます。

高齢者の運転免許に年齢制限をしたら良いという案もありますが、一言で高齢者と言っても現役世代に引けを取らない方もたくさんいらっしゃいます。

都会は公共交通機関が充実しているので良いですが、田舎ではバスの本数も減ってしまい、廃止されている所も多いです。そしてバス停まで行くにも距離があります。つまり、移動手段は車・バイク・自転車・徒歩になります。買い物に行くにも距離がありますし、帰りは荷物も重いので、乗り物がなければ買い物難民になり、生活できないのです。都会の人は「それならタクシーを呼べば良いじゃない。」とお思いでしょうが、タクシー自体も少ないし、タクシー会社も遠いし実用的ではないのです。

現役世代は都会、親は田舎で暮らしているケースがほとんどで、高齢になってもやはり生活には車が必要です。現役世代が田舎にUターンしようにも自分のしたい仕事がない。今、リモートワークが進んできたとはいえ、皆がそうではないし、子どもの学校の都合もあり、すぐに田舎へという訳にもいかないと、なかなか難しいです。

行き先を入力すれば連れて行ってくれる自動運転の車が望まれます。でも、その入力ができなければ乗れません。いや、スマホのように話しかければ理解してくれるようになるかも知れませんね。でもこの自動運転車の実用化もすぐにとはいきませんね。

私の地区の近くにバス会社の車庫があるのですが、このコロナ禍で、観光バスがずらっと並んでずっと停まったままです。このバス会社の社員さんはどうされているのかと心配になります。定期バスは相変わらず大きなバスが走っていますが、乗客がゼロの時もあり、本当に乗客は少ないです。そのバス会社の模様のマイクロバスとかワゴン車にしてコミュニティーバスの様にきめ細かく走ってくれれば、経費節減にもなるし、高齢になってももっと生活しやすいのではないかと思いますが、届け出とか認可とか難しいのでしょうね。

半世紀前は、徒歩圏内にお店がありました。その後、車社会になってスーパーマーケットが出店して、地域の店は閉じました。移動販売車が買い物難民救済や地域のコミュニティとして成功している例もありますが、ボランティアでは続かないので採算の取れる地域でということになります。

いろんな解決法が考えられますが、どれもすぐにとはいきません。高齢者が車を止めたらどこにも出かけなくなり、認知症が進むという問題点もあります。

親も今まで安全運転を通してきたプライドがあり、まさか自分が重大な事故を起こすなんて考えもしない。「若い者に迷惑を掛けたくない。」とつい自分で運転するのです。

運転免許更新検査も厳格化されていきます。

ある日突然運転機能が下がる訳ではないので、親に頭ごなしに「やめて」言うのでなく、まずは、「夜はやめたほうが良いよ。」次に「雨の日。」そして「通学・通勤時間帯。」と少しずつ運転する機会を減らすように、機嫌の良い時さらっと言ってみるとかはいかがでしょうか。そしていよいよ止めた方が良いと判断した時には、止めてもらいましょう。子供たちが言っても聞いてもらえないようなら、親に影響力のある人にお願いしてみましょう。私は主治医から言ってもらいました。親が運転を止めたら、家族が運転手をすることになり、負担は増えますけどね。

さて、この『うちの父が運転をやめません』では、どんな解決になったでしょうか。皆さんも読んでみてくださいね。

夫の墓には入りません ―婚姻関係終了届

『夫の墓には入りません』(2019年発行)を読み返してから、垣谷美雨(カキヤミウ)さんにはまっています。垣谷美雨さんは1959年生まれの女性で、私と同世代。著書のテーマは、政治・貧困・ジェンダー・妊活・婚活・終活等と多岐に渡ります。どの小説を読んでも「そうそう。そんなこと言われる。この世代の人はそういう価値観を押し付けるよね。」と共感しきりです。

今回は、『夫の墓には入りません』の感想をお話いたします。

内容は、(「BOOK」データベースより)ご紹介します。

ある晩、夫が急死。これで嫁を卒業できると思いきや、舅姑や謎の女が思惑を抱えて次々押し寄せる。“愛人”への送金、墓問題、介護の重圧…がんじがらめな夏葉子の日々を変えたのは、意外な人物と姻族関係終了届!?婚姻の枷に苦しむすべての人に贈る、人生逆転小説。

とあります。

一番心に突き刺さった言葉は、「つぶしてもいい人間」。その説明としては

「しっかりしていて、我儘をいわない。大人しいが芯は強い。その上相手の気持ちを優先するし、誠実なので、誰だって頼りにしたい。信用に足る人間。」非の打ち所がない人と「褒められているように感じるが、実は便利に使われている。」「どこの会社でもそう。できる人間に仕事が集中する。」

そうそう。全くそうです。

会社では、誠実なだけの人は利用されて、心身共に疲弊しきって辞めていく。親族関係でも『自分さえ我慢すればうまくいく』と我慢する人もいる。特に介護問題では、口は出すけど手も金も出さない人に利用される。配偶者の両親・自分の両親・おじおば・兄弟とみんなから押し付けられて疲弊し、ある日突然撃沈する。そんな画面を多々見てきました。できる人はひとりで抱え込まずに、周りの人々を上手に巻き込んでうまく立ち回る方法を考えたいものです。

がんじがらめな日々を変えたという『姻族関係終了届』は、死後離婚とも言われます。

配偶者が亡くなっても、配偶者の血族との姻族関係は継続するため、姻族関係終了を希望する場合に役所に提出する届出のことで、姻族の同意は不要です

配偶者の相続権や遺族年金受給には影響はありません。また、 姻族関係終了届では、氏や戸籍の変動はありませんから、婚姻前の氏に戻すには、復氏の提出が必要になります。一度姻族関係終了届が受理されると、姻族関係の復活できません。

一番心配なのは今後の扶養義務です。直系血族(父母、子、祖父母、孫など)と兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務があります。
姻族はこれに含まれないので、嫁と亡くなった夫の親(舅・姑)の関係では、原則として扶養義務を負いません。ただし、特別な事情がある場合のみ家庭裁判所が義務を負わせることができるとされています。この届が受理されれば、配偶者の血族の扶養義務を負うことはありません。

この小説で、夫が亡くなっています。その後、舅姑の相続が発生した場合、嫁は、遺言書で遺贈してもらうか、養子縁組していなければ相続できません。被相続人(亡くなった人)の介護や看病に貢献をした「親族」には「特別寄与料」として金銭請求権が認められるようになりましたが、それが認められる親族は、法定相続人ではない親族なので、遺産分割協議に参加する権利はありません。つまり難しいということです。

終活相談でも「夫の墓には入りません。」という女性は結構いらっしゃいます。夫と同じが嫌というより、死んだ後までそれまでの人間関係の続きで夫の親族と一緒に居るというのが嫌だという方が多いのです。解放されたいのです。単なるお墓の問題ではなく、人間関係の話なのです。あなたのお宅は、いかがですか。

誰しも辛い時不安になることはありますが、あまりに頼り過ぎると相手は重過ぎて逃げ出したくなります。お互いの距離感を保ち、普段から話し合って快い人間関係を続けていきましょう。

幸せなゴールを迎えるために

平年より少し遅れて梅雨入りしました。 災害など無い、適度な雨を希望しますね。

さて、今回は、終活関連本の紹介第2弾です。

命を考える終活を推奨しているさくら終活にと、友だちの絵本屋さんからご紹介いただいた絵本です。

この絵本、ブロンズ新社から出版された『マールとおばあちゃん』です。ベルギーのティヌ・モルティールさん作で、江國香織さん訳の絵本です

わが国の高齢化率は、世界1ですが、欧米諸国も高齢化が進んでいて、命の問題は、どこも同じです。

あまり詳しく言うと、著作権侵害になりますから、【「BOOK」データベースの商品解説】からご紹介します。

『マールとおばあちゃんは大の仲よし。似た者同士のふたりは心で強く結ばれています。しかしある日、おばあちゃんは倒れて、言葉を失います。まわりの大人たちは、おばあちゃんは別人になったと思いますが、孫娘のマールは、おばあちゃんの目に、くちびるにあらわれる言葉のかけらに、祖母の思いを読みとることができるのです。人の可能性を信じる愛の絵本です。』となっています。

大病をすると、一気に体のクオリティが下がって、できないことが増えていきますよね。病院スタッフや家族にはおばあちゃんの意思を読み取ることができなくても、マールは、いつも、心から理解し合っていたからこそ、おばあちゃんの意思を読み取って、希望どおり実行できたのです。

私も父を見送る時、同じような経験をしました。本人は一生懸命話しているつもりでも、発声がハッキリせず、口の中でモゴモゴ言っていました。いつも看病していた母や私は、父の意思を理解できましたが、他の身内は、読み取れずに、適当に話を合わせていました。いつもは、しっかりとした威厳のある父でした。が、体も心もどんどん弱って、弱音も出ました。元気な私たちの常識では、あり得ないものが見えたり、言ったりと夢の中にいるようでした。そういう時も否定せずに、心の声を聴き、不安な気持ちに寄り添うことにより、後悔のない見送りができたと思っています。

「介護する人は俳優になれ。」と言われますよね。「あんなに聡明だった私のお母さんが…。」と腹が立つことも多々あり、なかなか難しいことですが、その方の生きてきた歴史やその方の気持ちを理解して寄り添うことが大切ですね。

でも、実際には、「親御さんが高齢者施設に入所してしまえば、任せっきりで全く会いにも来ない」という話もよく耳にします。それぞれの家族にいろんな事情があり、一概には言えませんが、後悔のない対応が望まれます。まあ、それまでの人間関係で難しい場合もありますよね。

『因果応報』=人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。(goo辞書)

『情けは人の為ならず』=人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる。(goo辞書)

『ひとは生きてきたように死んでいく』=「ひとは生きてきたように死んでいく。しっかり生きてきた人はしっかり死んでいく。周りに不平を言いながら生きてきた人は私たちスタッフに不平を言いながら亡くなっていく。感謝しながら生きてきた人は感謝しながら、ベタベタ生きてきた人はベタベタと死んでいく。これまでの生きざまが死にみごとに反映する。よき死を死すためには、よき生を生きねばならない」医師:柏木哲夫さん「『死にざま』こそ人生より」

今の世の中、いつ何が起こるか分かりません。幸せなゴールを迎えたいと思えば、笑顔で、周りの人に優しく、そして、感謝の気持ちを表してより良く生きておきたいものです。

今こそ、ユーモアを持ち、ポジティブに

コロナウィルスの影響で、あちこちに支障が出ている昨今で、みんなが我慢して息を潜めていますね。

そんな中、デイサービスでの利用者さまの会話が聞こえてきました。

「安倍首相は、小中高校生を休業にさせて、私たちは、普段どおりデイサービスに通わせてる。これからを担う子どもたちを守って、私たち年寄りは、どうなっても良いと思ってるのよ。」

「そうよ。そうよ。みんな、そう言ってるわ。」

いえいえ、コロナウィルスの流行を食い止めて、高齢者はもちろん、全国民を守るためですよ。子どもも楽しいことが中止になって、我慢しています。

以前、同じようなネガティブな話を聞いた気がします。

今では、幸期高齢者という字を当てる方もいらして、ポジティブ思考で人生を楽しんでいらっしゃる方が多いですが、2008年、75歳以上を対象とする後期高齢者医療制度が始まりました。その頃の話です。

「後期高齢者だなんて、私たちはもう要らないということね?」など、とてもここには載せられないようなことを、皆さま、口々に不満気におっしゃっていました。

「そんなこと無いですよ~。」と返答するのも疲れはてた頃、すごく爽やかな方にお会いしました。

「75歳のお若い方が後期高齢者だなんて、私は、93歳だから、末期高齢者ね。オホホホ。」

と、おっしゃる声に思わず顔を上げました。そこには、キチンとお化粧をされて、御髪も美しくセットされ、背筋もシャンと伸びた女性がスッと立っていらっしゃいました。

12年前、93歳の方がおひとりでさっそうと自由に出歩くだけでもすごいのに、社会全体を見通して、ご自身の立ち位置を考える見識の高さ、心から尊敬します。本当に素晴らしい!

彼女が、今の不確かな情報に振り回されている状況をご覧になったら、どうおっしゃるでしょうか?コロナウィルスに感染しても、80%は無症状か軽傷と統計が発表されています。冷静な行動をしましょう。できるだけ外出を控えてと言われれば、後回しになっていた家の中でできることに取り組んでみてはいかがでしょうか。

私たちは、何かあるとすぐにくよくよして落ち込んだり、ネガティブな思考になって、誰かのせいにして責めたり、忙しさについ笑顔を忘れがちになったりします。

彼女とは、一期一会の出会いでしたが、そのポジティブさ、そしてユーモアのあるお上品さを今でも思い出し、そのたびに幸せな気持ちになります。ご自身がオホホホと笑顔でいるだけでなく、周りの人も10年以上幸せな笑顔にしてくれる彼女に感謝の気持ちでいっぱいです。こういう方ばかりだとこの国の幸福度も高くなっていくのではないでしょうか。私は、彼女の足元にも及びませんが、少しでも近づければと思っています。

ピンチをチャンスに! 彼女のようなユーモアとポジティブ思考で、日本を元気にしていきましょう。

「カツオが磯野家を片付ける日」を読んで

「カツオが磯野家を片付ける日」皆が知っている磯野家に何が⁉と早速読んでみました。波平が、家の中の雑然としたモノで転倒して急死したところから始まるカツオの実家片付け。あの几帳面なフネの家がごみ屋敷化するなんて。もちろん、この実用書の中でのこと。

サザエとワカメは既に別居。仕事に家事・子育てにと忙しくて実家まで手が周りません。でも言いたいことは言う。手は出さないけど、口を出す。よくあるパターンですよね。

日本一有名な一家磯野家を例に、今問題となっている実家片付けへの対応を具体的に解りやすく示してくれた本です。親子で片づけるとどうしても感情的になってしまい、なかなか進みません。

「まだ使えるから、捨てないでおくれ。」「母さん、どうしちゃったの?」あんなに、几帳面だった母さんの衰えを目の当たりにして、悲しいやら情けないやら。どうすれば、円満に過ごしやすい環境にできるでしょうか?

物のない時代に育った両親世代は、「物のあることが豊かさの象徴」という価値観を持っています。「いつか使う」ともったいなくて、捨てられません。それは解っていても、子としては、スッキリとした部屋で安全に暮らしてほしいという想いがあります。お互いの気持ちを尊重し、いろんな想いを話し合い、穏やかに行わなければなりません。

キーワードは、「安心・安全・健康」。「母さんに安全な部屋で安心して健康に過ごしてほしいから。」と優しく言って、お母さんの立場に立って、思い出話を聞きながら一緒に片付けましょう。仕事なら割り切ってできても、家族だとそれがなかなか難しいです。でも、俳優になったつもりで。

片付けがひと段落したら、あんなに抵抗していたフネさんも安心して元の仲の良かった磯野家に戻り、読者も安心。「やらなくて後悔するより、少しずつでもやった方がうんと良い。」

縁とは~『マチネの終わりに』

出会いは、突然。そして必然。

出会うべくして出会った二人。感受性が同じで惹かれ合います。でも遠く離れているふたり。やっと進みだした二人の前に周りの妨害があってすれ違います。長く続く苦悩。妥協。それでも、縁があってまた人生が絡み合うことになります。

運命に翻弄される縁について深く考えながら帰宅してテレビをつけました。

『祝賀御列の儀』素敵な笑顔で優しく手を振る天皇皇后両陛下の映像が。

気ままに生きている一般人の私たちでも、楽しいことばかりではありません。辛いこと苦しいこと悲しいこと。ブルーになること数知れず。

国を背負う天皇陛下御一家の重圧は、計り知れない重さでしょう。「全力でお守りします。」そのお言葉どおり、お二人でそれを乗り越えてこられたのです。今日の雅子さまの晴れやかな笑顔と光る涙が、その喜びを表わされていたように思います。

そして、これからも前進していくためには、どんな決断行動が必要か、的確な判断をして、すばらしいご縁に繋いでいこうと思いを新たにした1日でした。

『縁』って本当に不思議。この広い世界の中で、同じ時に生きている70億人の中で、出会い、関わるのは、本当に奇跡。

私たちにも日々いろんな出会いがある。あの時、あの場所に行かなかったら、この方とお話していなかったら、あの時電話していなかったら、今の私たちはいない。子どもだって、孫だっていなかったかも知れません。本当に命って奇跡の連続だと痛感します。

日々の生活、仕事でもいろんな出会いがあります。そして、その時々、ひとつひとつの判断行動でどんどん結果が違ってきます。決定までには、自分自身の中でも葛藤があります。また、外からの妨害もあったり、今いる環境の中で障害があって、実行できないこともあります。今、こうして、自分がいられることに感謝しかありません。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えている。」映画の中の台詞です。過去に起こった事実も、未来になって環境や見方が変わることによって、過去の事実への感じ方も変わるということだそうです。皇后陛下の涙が、このことを物語っているように感じました。

未来の自分が、「良い人生だった。」と満足できる活き方をするために、一日一日一瞬一瞬を大切に、すばらしいご縁を紡いで、自分にも人にも優しく、正直に生きようと、思いを新たにした1日でした。