延命治療とは7 人工透析

私は、父の見送りから、命の尊厳を守るため、延命治療の説明絵本「桜のようにいきたい」を作成し、延命治療についてお話をしています。

この絵本は、たくさんの方の経験を組み合わせて1冊にまとめました。

前回、老衰状態になったよしこおばあちゃんが、鼻チューブを装着し、トラブルになったことについてお話しました。

今回は、よしこおばあちゃんの病棟の別の部屋の方の治療のお話です。

これは、絵本にはありませんが、私が父を見送る時の病棟で体験したことです。

老衰期に見える方ばかりがいらっしゃる病棟なので、いつ何が起こるか分かりません。多くの部屋のドアは開いていて、中の様子が見えてしまいます。

男性も女性もプライバシーはありません。天井を見つめるでもなく目はうつろで、口をポカーっと開け、起きているのか寝ているのかボーっとただ寝転んでいます。「生きているという実感はおありなのかなあ?」と赤の他人の私も辛くなります。もちろん、お見舞いに来ているご家族に会うこともありません。もう、長くこうしてお過ごしなんだろうと感じました。ドアの閉まっているお部屋もあって、時に「うわーっ」と叫び声も聞こえる時もあり、思わず耳を押さえました。この方たちは、お幸せなのでしょうか?

何度もお話しますが、同じ治療名でも、元気になって普通の生活に戻っていける人にとっては普通の治療ですが、もう治る見込みもなく苦しい時間を引き延ばすだけの状態になった人への治療は延命治療です。

さて、人生の最終段階の方ばかりの病棟なので、いろんなことが起こります。

まず今回は、人工透析です。腎臓だけが弱った人が、人工透析をして、普通にお仕事されている方もたくさんいらっしゃいます。現在、透析を受けている方は、30%が現役世代、60代~74歳までの方が35%、75歳以上の高齢者が35%だそうです。

終末期になると、複数の臓器の機能が弱ります。腎臓も同様に弱ります。その腎不全に対して腎臓の機能を機械に代行させる人工透析も行われます。血液中の余分な水分や老廃物を取り除き、血液をきれいにする働きを腎臓に代わって人工的に行う治療法です。週2~3回、1回4時間と時間がかかります。また、治療で急激に血液がきれいになるので、気分が悪くなったりすることもあります。

また、費用の面も気になります。1ヶ月の透析治療の医療費は、患者一人につき30~50万円程度が必要といわれていますが、国内で透析治療を受ける場合、かかる費用は高額療養費の特例として1万円もしくは2万円の範囲内での自己負担になりますので、本人は心配ありませんが、みんなが拠出している健康保険全体で支えているということですね。

そして、一度始めた人工透析を止めるという選択は、=死ですから、生涯止めることはできません。

ここまで、人工透析の話をさせていただきました。

先日あるご相談がありました。「突然、母が倒れて、意識もありません。コロナで会いに行くこともできず、辛いです。終活を少し学び、延命治療を含む命の話をしましょうと習いましたが、実感もなくスルーしていた自分に後悔の日々です。母の気持ちを聞いていないし、今からどうしたら良いでしょうか?」というものです。

その時は、突然やってきます。命の話は、しにくいかも知れませんが、言い方・切り出し方を工夫するなどして、例えば、「今コロナでいつ誰がどうなるか分からないよね。」という話題から始めて「命をどうしたいか自分はこう思う。あなたは?」と話すというのはいかがでしょうか?これだと直接会わずに電話でも世間話の様にお話できますよね。変異種が出てきています。患者の数も増えて、身近に迫っている感じがしますね。これ以上先延ばしにせず、この年末年始是非、命の話をしてくださいね。

延命治療とは6 拘束手袋

私は、父の見送りから、命の尊厳を守るため、延命治療の説明絵本「桜のようにいきたい」を作成し、YouTubeで延命治療についてお話をしています。

前回老衰状態になった時の充分な栄養が摂れる3つの栄養補給についてお話しました。

この絵本のよしこおばあちゃんは、今、老衰の状態になっていて、口から何も受け付けなくなっています。このままでは栄養が摂れないので、時間の問題です。よしこおばあちゃんは、どうなっていくのでしょうか?

いつも可愛がってもらっていたひ孫は、「栄養補給と言っても、要は延命治療ではないの?ひいおばあちゃんは、『そっと自然のままにさせて』と拝むように言ったよ。」と言いました。本人の気持ちは皆わかっています。

家族は、悩み、話し合いをします。この世に生まれてきた以上、いずれその時がくるのは分かっていることですが、いざその時がきてしまうと、うろたえて、 「今を乗り切れば、食べられるようになって、まだ元気なおばあちゃんに戻ってくれるんじゃないか?」と、考えたりもします。つい最近まで元気だったので、おばあちゃんの死が迫っていることを受け入れられません。

結局、ひいおばあちゃんの息子であるおじいちゃんが、ひいおばあちゃんに生きていてほしくて、経鼻チューブ栄養を選択しました。

充分な栄養が補給できるので、少し元気になりました。家族は、とりあえず安心します。でも、本人は、鼻に常にチューブが入ったままなので、「気持ち悪いよ。」と言っています。

そしてついに、ひいおばあちゃんは、鼻から胃へ入れているチューブを引き抜きました。 医師は、「また、引き抜くと危険なので、とりあえず拘束に同意してください。」と言います。同意が無い拘束は、虐待と言われます。

おじいちゃんは仕方なく同意書にサインします。すると、ひいおばあちゃんは、手の指を動かせない拘束手袋をされ、柔らかい包帯のような布で手首をベッドの柵に固定されました。 (このおばあちゃんはしませんでしたが、足が動いて点滴をひっくり返したりする場合もあり、足も固定された人もいます。)

おじいちゃんは、ひいおばあちゃんのこの姿を見て、悲しくなり、 「今を乗り切れば治る人は栄養補給も必要だろうけど、老衰でもう体が拒否しているのに、括り付けてまで栄養を与えなければならないのかなあ。」「でも、先生に言えないなあ。」と自分の選択への後悔もあり、辛い胸中をつぶやきます。

医師から 「この今の危険な状態では、退院後の受け入れ先はありませんよ。胃ろうをお勧めします。」と言われます。 現実の話で、「医師から『今、栄養を入れないと餓死するんですよ。』と言われた。」という方がいるのも事実です。餓死とは、すごいインパクトですが、老衰の場面では、もう体が必要としていない状態なので、うつらうつらとして苦しくないと書かれた書籍が多々あります。

経鼻チューブ栄養はいつでも止められるので、延命治療ではありません。」という意見もあります。実際、経鼻チューブ栄養は、唾液が気管に入り誤嚥性肺炎や感染症を起こすことがあるので、そう長くは使えません。

その後の胃ろうを選択しない場合は、経鼻チューブ栄養を続けるか、もう止めるかという選択も迫られ、その後も次々に選択肢を示されます。 

本人の意識がない場合は、どう思っているだろうか?こうして寝たきりでも生きていたいだろうか?幸せだろうか?今ここで止めるという選択をすると、自分が命を止めてしまうが、それで良いのか?ずっと葛藤は続きます。どう決定しても、もっと良い方法があったか?と延々と苦悩は続きます。

自分の命は、誰のものか?どう終えたいのか?どうするのが本人とみんなの幸せか?という基準をしっかりと家族や周りの方々と話し合っておくと、家族の意思も統一されて自信を持って対応できます。愛する家族の死はとても辛いですが、話し合いをして本人の希望どおりに見送った時は、辛い中にも満足感があります。命の話し合いをしましょう。

次回は、よしこおばあちゃんの病棟の別の部屋の様子が見えてしまいます。

延命治療とは5 胃ろう

私は、父の見送りから、命の尊厳を守るため、延命治療の説明絵本「桜のようにいきたい」を作成しました。

延命治療を事前に知って、ご家族で話し合いをすることにより、いずれ訪れるゴールを満足して迎えられるよう、YouTubeで説明絵本のお話をしています。

前回お医者さんから、充分な栄養が摂れる栄養補給について、3つの提案があり、(表を提示) 1.経鼻チューブ栄養、2.中心静脈栄養について説明しました。詳しくは、『延命治療とは3と4』をご覧ください。

今回は、3の胃ろうの説明をします。胃ろうは延命治療の代表のように言われますが、実際はどうでしょうか?

胃ろうは、元々、生まれつき、或いは病気・ケガにより、口から飲食できなくなった時のための栄養補給方法で、1980年代にアメリカで開発されて世界的に普及しました。

直接、胃に栄養を入れる栄養投与の方法で、内視鏡を使った手術により、胃からお腹表面に穴を開け、管を付けて固定し、栄養剤を入れます。 投薬もできます。

おなかに5~6mm程度の傷がつくだけで、出血もほとんど無く、15分程度で終ります。手術後は多少痛みますが、その後、痛みも和らぎ違和感もほとんど無くなります。

しっかり固定されていますので、抜ける心配もありません。また違和感も少なく、目立ちませんから患者さんが自分で抜く可能性は低く、他の栄養補給のように、手足を縛られるような苦痛もなくなりました。

そして、回復して口から十分に栄養が取れるようになったら、管は不要になりますから除去できます。

管を抜いた後、胃の粘膜は約3時間程で修復され、おなかの傷もほとんど目立たなくなります。

実際、脳卒中を発症して意識を失い、胃ろうをしていた人が、その後自分で食事を取れるまで回復して、胃ろうを除去して旅行もできる普通の生活に戻った方もいます。この場合、本人が意識を取り戻し、嚥下機能が改善するまでの間の「つなぎ」として行われていたことになります。

メリットとして、違和感が少ない。胃ろうをしていても、口からご飯を食べることができる。カテーテルが抜けにくい。入浴ができる。そして、鼻からのチューブなどに比べ、喉にチューブがないため、口から食べるリハビリや言語訓練が行いやすい等があげられます。とここまで、メリットだらけのようです。

でも、もちろんデメリットもあります。装着は簡単とはいえ、手術をしなければならない。唾液で誤嚥性肺炎になる可能性もある。栄養剤が逆流を起こす可能性がある。などです。そして、管は耐久性がある物が使用されていますが、異物であることに違いはありませんから、約半年に1度、管の交換の手術が必要です。

また、注意点としては、体をしっかり起こして栄養補給する。口腔ケアを徹底するということがあります。

それで、命が長らえることができるならお願いしたら良いと思うかもしれませんが、完璧ではありません。他の方法より違和感は少ないけれど、認知症が進行すると理解できずに引き抜く人もいらっしゃいます。

先ほどの例の方のように、回復して胃ろうを外せる方もいますが、 その一方で、 病状が回復せず、長期にわたって胃ろうを行う人がたくさんいらっしゃいます。意思疎通ができなくなって、今後もまったく回復の見込みがなく、ご家族も「もう楽にしてあげたい」と思っていても、胃ろうをしていることで人生を終えられないというケースがあるのも事実です。

私がお聞きしたケースでは、胃ろうをして13年間床ずれになりながら、意識もなく、頑張った方もいらっしゃって、お幸せだったかと心が痛いです。。

日本老年医学会は、「本人の尊厳を損なう恐れがある」として、高齢者における終末期の胃ろうについては、慎重に判断していくべきとの立場を表明しています。

最も大事なのは、「本人がどのように生きたいと思っているか」という点です。私は、散り際も人らしく自然な状態でいたいです。みなさん、お元気な今、命のゴールの話をしましょう。

ここまで3回、3つの栄養補給の説明をしました。よしこおばあちゃんは、どうなっていくでしょうか?それは、次回としますので、是非ご覧ください。

延命治療とは4 経静脈栄養

私は、父の見送りから、命の尊厳を守るため、延命治療受診をどうしたいか意思表示をしようと呼び掛けています。

「これが延命治療だ」という確定した治療はありません。受ける方の状態や価値観によって異なりますので、延命治療になり得る治療について、お話しいています。

病気や手術などで一時的に口から食事が取れなくなったり、胃腸が機能がかなり下がっている場合に、人工的に水分や栄養を補給する人工栄養法をとる場合があり、

胃や腸を使う「経腸栄養」と、

血液に直接栄養を入れる「経静脈栄養」の2種類の方法があります。

前回は、私が作成した「桜のようにいきたい」からで、お医者さんから、充分な栄養が摂れる栄養補給について、3つの提案があり、経腸栄養の経鼻チューブ栄養について説明しました。

詳しくは、『延命治療とは3』をご覧ください。

そして、経静脈栄養には、

心臓に近い太い静脈を使う「中心静脈栄養」と、

手足など末梢の細い静脈に点滴をする「末梢静脈栄養」があります。

末梢静脈栄養については、『延命治療とは2』をご覧ください。

今回は、2の中心静脈栄養についてお話させていただきます。

中心静脈は、心臓に近いとても太い静脈で血流が多いため、高濃度・高カロリーの輸液を投与しても一瞬のうちに大量の血液で薄められ、血管への影響や体の副作用も少なく、1日約2,500キロカロリーまでの高濃度の栄養を投与できるので、十分なエネルギーの補給ができます。そして、症状が悪化した時には、栄養だけでなく薬剤投与なども容易に行うことができます。        

中心静脈栄養は、首や鎖骨下や大腿部の静脈から細いカテーテルを挿入し、カテーテルの先端を心臓近くの太い静脈まで進めて固定します。一度、このカテーテルを設置すると、数か月間使用できるので、末梢静脈栄養のように何度も針を刺して点滴する必要がなく、苦痛が少なくなります。

ここまで、良いことばかりのようですが、デメリットもあります。          カテーテルを挿入する際に局所麻酔によるショック、注射針による損傷などの合併症を引き起こすリスクがあります。                          

一般的にカテーテルは炎症を起こしにくい材質のものが使われていますが、患者によっては細菌感染を引き起こすおそれがあります。

充分な栄養補給ができるのは良いのですが、逆に高血糖になったり、長期的に使用すると脂肪肝などの代謝性合併症を引き起こす可能性もあります。            

ごくまれに、管が抜けることがあります。また、意識がある方は、不快感があるため、本人が引き抜く場合もあります。

また、コストが高いこともデメリットの一つです。食物を口から食べないため、口の筋肉や嚥下機能が衰えますので、導入中も口腔ケア嚥下機能の維持を心がけることが必要です。

導入後のリスクや経過の見込みを理解し、医師ともよく相談した上で、中心静脈栄養を行うかどうかを決めると良いでしょう。

ここまで、2の中心静脈栄養について説明しました。あと1つの栄養補給方法の説明は、次回お話することとします

延命治療とは3 経鼻チューブ栄養

私は、父の見送りから、命の尊厳を守るための意思表示をしましょうと呼び掛けています。

前回の話は、私が作成した「桜のようにいきたい」からで、ひいおばあちゃんが老衰で入院して抹消静脈栄養を施されて、おばあちゃんは、拝むように「自然のままにさせて」と頼みました。ご家族は生きて笑顔を見せてほしいと願っています。詳しくは、『延命治療とは 2』をご覧ください。

お医者さんからは、「今のままでは、栄養が足りないので、時間の問題です。」と言われ、充分な栄養が摂れる栄養補給について、3つの提案がありました。

1.経鼻チューブ栄養  2.中心静脈栄養  3.胃ろう  です。

今回は、1の経鼻チューブ栄養について説明します。

経鼻チューブ栄養は、病気や障害によって口からの食事が難しくなった方が、鼻から、胃或いは、小腸まで管を通してテープで固定し、栄養剤を注入する方法です。チューブを挿入するだけなので、特別な手術は必要ありませんが、チューブの 先端がきちんと目的の場所(胃や小腸)に 届いていることが重要です。もし万が一肺に入っていたら大変ですよね。

経鼻チューブ栄養補給は、胃腸を使うので、身体の自然な栄養摂取に近いため、栄養の吸収に関する体の負担も少なく、血糖値の変動なども起きにくく、腸の免疫も保たれます。

チューブは、低刺激性のテープで固定しますが、皮膚がかぶれることもありますよね。テープを交換するときは、皮膚を保護するため、同じ位置に貼 らないようにします。

そして、チューブが細く詰まりやすいことや、チューブが汚れるとその汚れが肺に入って肺炎や感染症を起こす原因になるため、だいたい1~2週間で交換する必要がありますが、患者さんには辛い作業です。

本人が、不快感からチューブを引き抜くことがあります。インフルエンザの検査で鼻に細い綿棒を突っ込まれるだけでも辛いのに、常に管が鼻から喉を通って、胃まで入っていると想像するといかがでしょうか。経鼻栄養補給をしている人が認知症の場合には、状況を理解できなくて、引き抜いてしまう確率は上がります。そして、チューブが抜けていることに気付かずに栄養剤を注入すると、重大な事故につながる恐れがあります。引き抜きでなくても、胃の働きなどにともなって移動している場合がありますから、特に注入前にチューブが抜けていないかを確認することが必要です。

また、注入が終わった後に30分から1時間ほど、上体を起こした姿勢のままでいてもらうことにより、逆流などによる誤嚥を防ぐことができます。

経管栄養で口をあまり使わない生活を続けると、口のお手入れが充分でなかったり、口の機能が低下しますので、毎日のお口のお手入れ、口腔ケア(歯・粘膜・舌の清掃や 頬のストレッチ、唾液腺マッサージなど )は重要となります。

体調が回復したら、咀嚼や嚥下のリハビリ をおこない、 再び口から食事を 摂ることも可能です。

とはいえ、ここを乗り越えれば元気になっていく人は、栄養補給は、必要でしょう。でも、おばあちゃんは老衰状態です。おばあちゃんは、どうなるでしょうか?

もし、あなただったらどうしたいですか?

次回に続く

延命治療とは2 老衰期の対応

「桜のようにいきたい」 1部の『お願い お起きて!ひいおばあちゃん編』

この説明絵本は、数人の実話をベースにアレンジして、ひとつにまとめたものです。その核となるのが、よし子ひいおばあちゃんです。よし子おばあちゃんやその他の登場人物は仮名になっています。

ひい孫をいつも優しく遊んでくれていたよし子おばあちゃんですが、95歳となり、老衰で食べられなくなって弱ってきました。お家で静養していましたが、かなり衰弱してきたので、家族が見かねて入院させました。

手には点滴が入っていて、痛々しいです。これは、抹消静脈栄養と言って、水分と栄養補給目的で、手や足の細い静脈から栄養を入れます。細い静脈に高濃度の糖質を入れると、血管痛や静脈炎を起こしてしまうので、高エネルギーを投与することはできません。概ね2000キロカロリ-必要なところ、約1000キロカロリ-の摂取しかできないので、必要カロリーには足りません。そして、血管も弱り、だんだん点滴が入りにくくなり、針の位置を変えます。針の刺し替えで内出血が起こり、手足が紫色になる場合もあります。そして、血流が滞りいずれ入らなくなります。抹消静脈栄養で延命できるのは、およそ2~3か月です。

医師は、「老衰の状態で、このままだと充分な栄養を摂れないので時間の問題です。」と言いました。

老衰期に口から食べられなくなった時の主な対応は、大きく分けて3つです。

1. できる限り延命をする。2.手足からの点滴で様子を見る。(今よし子おばあちゃんに施されています。)そして、3. 何もしないで見守る。これは、本当に大まかに分けています。実際は、この3つの間に数限りない選択肢を示されます。その都度、本人・家族・医療者との話し合いで、方針決定されます。「いざとなったら考える」という方は多いですが、いざとなった時には、説明を聞いてもなかなか平常心ではいられません。事前に知識を持って、命の話し合いをしておくことが大切なんです。

ひいおばあちゃんは、胸の前で両手を合わせ、拝むように「もう何もしてほしくない。そっと自然のままにさせておくれ。」と言いました。

この世に生まれてきた以上、必ず終わりは訪れます。終わりがくるから、一日一日を大切に生きるのです。

「食べないから死ぬのではなく、もう必要としていないから体が受け付けないのだ。」と言われます。

必要としていない体に不必要な水分を入れると、痰ができます。この頃になると、自力で痰を出せず、喉がゴロゴロしますので、チューブを突っ込んで、痰吸引をします。これが、とても苦しいのです。

何もせずに自然に進むと、飲食できないので、脱水状態となりますが、うつらうつらとしていて、苦しくはないそうです。私は、その状態になったことはありませんが、生死に関わる多くの医師が書籍に記されています。いずれみんな死んでしまうので、老衰で自然にという場合は、そんなに辛くはないようです。

一方、このご家族はどんな気持ちでしょうか?今まで命の話し合いをしたことはありません。優しいひいおばあちゃんの死が目前に迫って悲しく、以前のおばあちゃんに戻って笑顔を見せてほしいいう願いがあります。

ひいおばあちゃんは、「自然のままに」と頼みました。ご家族はどのような決断をするのでしょうか?よし子ひいおばあちゃんの運命やいかに?

次回に続く

延命治療とは1 プロローグ

今回から、私、大西が作成した「桜のようにいきたい」から、延命治療を説明して参ります。

私は、金融機関に31年間、勤務していたので、お金が終活の中心と思って、終活のお知らせ活動を始めました。その後、83歳だった父が倒れて、今までの良くなって帰る入院の状態とは全く違う悪い状態でした。本人も家族もお断りしているにも関わらず、担当医は、「まだ生きられますよ。」と、父のその状態では、延命治療だと思う胃ろうを強力に勧めてくださいました。医師は患者の命を救うのが仕事なので、医師からすると当たり前のことですが、QOL(人生の質)を重視する私たちの思いは違っていました。 

そこで、自分の命は自分で決めたいと、延命治療意思表示カードと前もって知識を得るための説明絵本を作成しました。そして、今は、お金と命の尊厳を両輪として、終活をお知らせしています。

今日は、この説明絵本のプロローグから説明します。

ところで、「命は何よりも大切」とよく言われます。では、命の何が大切なのでしょうか? 

長さですか?「どんな形でも良いから、1分1秒でも ただ長く生き延びる」ということ=時間でしょうか?

質ですか?「多少短くなっても良いから、自分らしく尊厳をもって生きること」=生活の質(QOL)でしょうか?

ご自身はどうですか?それでは、愛するご家族の場合はどうしてあげたいですか?

ご自身とご家族は同じですか? 違う方は、ご自分が、してほしくないことを愛するご家族にするのですか?

延命治療の基準は、人により異なります。

父の担当医は、「胃ろうは延命治療ではなく、栄養補給です。」とおっしゃり、私たちとは意見が異なり、人によって、延命治療の基準が違うと知りました。

それでは、延命治療とは何でしょうか?「これから延命治療を始めます。」という治療はありません。同じ治療名でも、治る人にとっては普通の治療で、『もう治る見込みもなくなり、旅立ちを待つばかりの状態で、それ以上治療しても苦しい状況を引き延ばすだけ』となった場合の治療が延命治療です。

延命治療意思表示カードの裏面に延命治療になりうる治療名を入れて、受診の希望について意思表示できるようにしています。

もちろん、治る病気やケガは、きちんと治療しなければなりません。

この冊子に出てくる延命治療は、先ほども書きましたが、『もう治る見込みもなくなり、旅立ちを待つばかりの状態で、それ以上治療しても苦しい状況を引き延ばすだけ』となった場合の治療のことです。当然、治療すれば治る治療を拒否するものではありません。

この説明絵本は、よし子おばあちゃんが、老衰で食べられなくなり、入院したところから延命治療が始まります。

何人かの実体験を元に、治療名の説明 ・本人の体の変化 ・家族の気持ち を描きました。

いずれ訪れるご自身の旅立ちの仕方を家族や医師に委ねるのではなく、自分らしく自分の望むように迎えるために、ことが起こってあわてるのでなく、前もって知識を持って、意思表示して、ご家族や周りの方にお話しして分かってもらいましょう。その命の話し合いの一助として、販売もしていますので、ご利用くださいませ。

次回に続く。

孫と命の話

孫は、いつものようにYouTubeを見ていました。

何やら命の終活につながる3択⁈

今、交通事故に合いました。今後のことを次の三つから選んでください。

①不老不死

②このまま10年生きて死ぬ。

③今死ぬ。

『小学生なのに、すごいのを見ているね。案外子どもも命のこと考えているのかな?』と思いながら、「あなただったらどうする?」と聞いてみました。孫の答えは、

①不老不死→友達がみんないなくなったのに、自分だけ年を取らずにずっと生き続けるのは、嫌だ。

②このまま10年生きる→交通事故で体が動かなくなって、寝ているだけの10年は辛い。

③死ぬ→元気になるなら生きたいけど。

ばあば(私):私は、死にそうになったら、死なせてほしい。

孫:死にそうになったら、普通死ぬでしょ。

ばあば:それがそうでもないんよ。息ができなくなったら、喉に穴をあけて管を入れて息をさせる。口から食べられなくなったら、お腹に穴を開けて、管を付けて、そこから流動食を流し込む。おしっこがでなくなれば、管を入れて、出す。そんな方法で生かすことができるんよ。

孫:(嫌~な顔をして)そんな方法があるん?それで生きて嬉しいんかなあ?

ばあば:そこから、元気になって、普通の生活ができるのなら、苦くても辛くても、頑張るけど、治る見込みがないなら、管は付けずにそのまま死なせてね。

孫:わかった。

おとなになると親に死に方の話をするのは、「縁起でもない。」と避けるけど、こどもは、素直に受け入れるんだなと孫にも命の話し合いができて、妙に嬉しい日でした。

欧米に寝たきり老人はいない

京都で安楽死事件が起こりました。とても悲しいことです。亡くなられた方は、「もう少し生きたかった」と思っているでしょうか?長年の苦しみから解放されて、ほっとしているでしょうか? 

安楽死には今回のような積極的な安楽死と延命治療を控える消極的な安楽死があるとされています。我が国では、積極的な安楽死を手伝うと自殺ほう助として罪になります。安楽死を望む人がいる実態があるのに、きちんとした基準や手順がないから、今回の様な事件が起こります。生きる権利・死ぬ権利とか言われますが、生死選択の自由・権利は本人にあると思います。苦しく辛い思いが続いている人はとことん苦しみ抜かないと死ねないというのは、あまりにも酷な気がします。本人の幸せ・満足を考えるのが一番大切だと思います。そろそろ、わが国でも議論を始めるべき時にきていると思います。もちろん、悪用されないように、厳しい基準を作り上げていかなければなりません。

さて、今回は、終活関連本の紹介第5弾です。

中央公論新社から2015年に出版された宮本顕二・宮本礼子共著の欧米に寝たきり老人はいない』 です。

日本では、延命至上主義で、寝たきり老人がたくさんいますが、欧米ではちがうのでしょうか?

今回も内容は(「BOOK」データベースより)ご紹介します。

約200万人ともいわれる「寝たきり」大国の日本。どうすれば納得のいく人生の終え方ができるのだろうか、医療現場からの緊急提言。

★「職員も受けたくないと言う「苦しみの多い終末期医療」。★救急救命センターは高齢者でいっぱいのなぞ。★ドッキリ!自然な看取りなのに警察が介入。★欧米の高齢者医療は、苦痛の緩和とQOL向上。★世界の非常識!?終末期高齢者への人工的水分・栄養補給。★胃ろうで生かされるのはだれのため?   医療サイト「ヨミドクター」で大反響を呼んだブログに大幅加筆・増補!」

とあります。

宮本ご夫妻が欧米各国の終末期医療の現状に触れて、日本の問題点を示した本です。

日本では、医師の言われるとおりに治療を続けた結果、複数の管につながれて意思表示できなくなっても、生きる権利と言われて生かされ続けている老人がいっぱいいます。この方たちは、長生きできてお幸せでしょうか?

欧米では、(欧米と一口に言ってもその全てが同一ではありませんが、)宗教観・死生感は、わが国とは違います。

「高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当たり前で、経管栄養や点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識している。」とか、

「生きている間は人生を楽しみ、死ぬときは潔く死ぬ。」という武士道にもつながる考え方もあります。

私は、50年前に、母方の祖父の看取りを見ました。当時、脳溢血になると手の施しようがなく、祖父は意識もなく自宅で寝かされていました。母方の家族が集まり、枕元で話しかけていました。私は子どもだったので、いとこが集まったのがうれしくてはしゃいでいましたが、その光景は目に焼き付いています。もちろん点滴などもなく、1週間で、すーっと自然に亡くなりました。そして、家族で体を清め、葬儀は自宅でした。

そういう昔の自然な看取りを知っている私の母は、父を看取る時の濃厚な治療を見るのは辛そうでした。過少でも過剰でもない本人にとって丁度よい医療が望まれます。いずれ全ての人に死は訪れます。その時をどう迎えたいかを事前に話し合うことが重要です。そして、家族として決断を迫られて迷った時は、「己の欲せざる所は人に施す勿れ」です。自分がしてほしいように看取りをしましょう

『長生き地獄』

今回は、終活関連本の紹介第4弾です。

SB新書から2017年に出版された松原惇子著の長生き地獄』 です。

『元気で長生き』が、わが国でのみんなの目標ですよね。私も孫から「元気で長生きしてね。」と、言われます。高齢になってもずっと元気なら良いのですが、弱点のある私は、微妙~なんです。

平均寿命は、戦後の50歳から、70年で30歳以上延びてきました。 ところで、人の体のピークは、いくつ位だと思いますか?20代位ですよね。平均寿命が延びても、ピークは変わりません。下り坂が延々と続くことになるのです。平均寿命=健康寿命なら良いですが、健康でなく、人の手を借りる介護期間が長くなっているというのが現状です。

それにしても地獄とは、いったいどういうことでしょうか? ドキドキしながら、読んでみました。

今回も内容は(「BOOK」データベースより)ご紹介します。

「100歳以上の高齢者が全国に6万5692人に。46年連続の増加」などのニュースを聞くたびに、「もし、自分がそこまで生きてしまったらどうしよう」と、本気でこわくなる。考えても仕方がないことだが、どう死ぬかは、70歳のわたしの最大の関心事だ。わたは、長生きがしたくない。これは本音だ。独居老人が増え続ける日本において、ゴールの見えない長生き人生はまさに地獄だ。人はゴールがあるから、今日一日を頑張れるのではないか。長生きの現場を見ながら、これからの生き方と死に方を考えたい。」

とあります。

う~ん『長生き恐怖論』ですね。 私の周りにも「母には長生きしてほしいけど、自分はそこまで生きたくない。」と言っている人もたくさんいます。

「子どもがいるから安心」とか、「女房より先に死ぬから安心」という方がいらっしゃるそうですが、楽観していて良いのでしょうか?

世帯の形は変わっています。昔主流だった三世代同居世帯は減って、核家族化が進み、高齢化に伴い、老々夫婦の世帯が増えています。そして、やがては、ひとり暮らしが待っています。現在でも。3軒に1軒はお一人暮らしです。生活はグローバル化し、家族は離れて住んでいます。

老々介護(65歳以上の人が、65歳以上の人を介護する。) 認認介護( 軽い認知症の人が、より重い認知症の人を介護する。) 難難介護(難病指定の軽症の人が、より重症の難病の人を介護する。〔私の造語〕)  と大変な状況の方もたくさんいらっしゃいます。

あなたは、どう旅立ちたいですか?  そう、「自然に逝きたい」とおっしゃる方が多いです。「愛する家族に見守られて死ぬ」のが、理想とされます。 でも、ご家族は、「両親には生きていてほしい。」と望んでいます。その時がくると狼狽して、「先生、どうか命だけは助けてください。」と懇願する家族が多いのです。それが、愛する両親を苦しめてしまうとも考えずに。そして、ただ息だけさせられることになるのです。その姿を見るに忍びなくて、ご家族は、面会にも来なくなります。

自然にと希望するなら、その気持ちをしっかりとご家族に理解してもらっておく必要があります。

かえって、ひとりで静かにその時を迎える方が、楽かも知れません。ただ、その後、できるだけ早く見つけてもらう必要がありますので、ご近所付き合いとか、何かの準備は重要課題ですよね。