「カツオが磯野家を片付ける日」を読んで

「カツオが磯野家を片付ける日」皆が知っている磯野家に何が⁉と早速読んでみました。波平が、家の中の雑然としたモノで転倒して急死したところから始まるカツオの実家片付け。あの几帳面なフネの家がごみ屋敷化するなんて。もちろん、この実用書の中でのこと。

サザエとワカメは既に別居。仕事に家事・子育てにと忙しくて実家まで手が周りません。でも言いたいことは言う。手は出さないけど、口を出す。よくあるパターンですよね。

日本一有名な一家磯野家を例に、今問題となっている実家片付けへの対応を具体的に解りやすく示してくれた本です。親子で片づけるとどうしても感情的になってしまい、なかなか進みません。

「まだ使えるから、捨てないでおくれ。」「母さん、どうしちゃったの?」あんなに、几帳面だった母さんの衰えを目の当たりにして、悲しいやら情けないやら。どうすれば、円満に過ごしやすい環境にできるでしょうか?

物のない時代に育った両親世代は、「物のあることが豊かさの象徴」という価値観を持っています。「いつか使う」ともったいなくて、捨てられません。それは解っていても、子としては、スッキリとした部屋で安全に暮らしてほしいという想いがあります。お互いの気持ちを尊重し、いろんな想いを話し合い、穏やかに行わなければなりません。

キーワードは、「安心・安全・健康」。「母さんに安全な部屋で安心して健康に過ごしてほしいから。」と優しく言って、お母さんの立場に立って、思い出話を聞きながら一緒に片付けましょう。仕事なら割り切ってできても、家族だとそれがなかなか難しいです。でも、俳優になったつもりで。

片付けがひと段落したら、あんなに抵抗していたフネさんも安心して元の仲の良かった磯野家に戻り、読者も安心。「やらなくて後悔するより、少しずつでもやった方がうんと良い。」

世代間扶養から世代間の公平性へ

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191129/k10012195881000.html

NHK NEWS WEB

「75歳以上の医療費自己負担増を検討」というニュースが流れ、高齢者のインタビューが報道されました。「年金生活なのに、医療費が上がるのは苦しい。」と。

何故、後期高齢者医療の自己負担率を引き上げようとしているのでしょうか。

その昔、年金制度ができる前は、ご隠居さまを家族で扶養していました。

昭和36年国民年金制度が創設され、わが国は、国民皆年金という社会全体でご隠居さまを支えましょうという世代間扶養の制度が実現されました。

また、昭和36年国民健康保険が創設され、国民皆保険というみんなで医療費を分かち合いましょうという相互扶助の制度が実現されました。

昭和35年平均寿命は、男性65歳女性70歳でした。そして、定年年齢は55歳。厚生年金は男性60歳女性55歳支給開始(S19年は、男女とも55歳支給開始)で、国民年金は65歳支給開始でした。高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)は5,7%、現役世代(16~64歳)11,7人で65歳以上の高齢者1人を支えていました。

あれから60年! 今では、平均寿命は男性81歳女性87歳、定年年齢は原則65歳、厚生年金も段階的に支給開始年齢が上がり国民年金に合わせて65歳から。高齢化に伴い、年金受給期間は長期化していますね。そして、高齢化率は28%、2人で1人を支える時代になりました。詳しくは、下の表をご覧ください。

平成30年版高齢社会白書(内閣府)より

高齢者医療の推移

S48年1月 老人医療費支給制度の創設(70歳以上。いわゆる無料化)S58年2月 老人保健制度の創設(75歳以上か65歳以上寝たきり。1割負担)                               S59年10月 退職者医療制度の創設                H12年4月 介護保険制度の導入                 H20年4月 新たな高齢者医療制度の創設(75歳以上の後期高齢者の独立した医療制度の創設。退職者医療制度は廃止。)

75歳以上の後期高齢者医療制度の財源は、後期高齢者の保険料1割、現役世代の保険料から後期高齢者支援金として4割、残り5割は税金からと、9割は現役世代からの仕送りとなっています。

2025年には、団塊の世代が全て75歳以上の後期高齢者となり、全人口の17,8%になる見込みです。5,6人に1人は75歳以上。ちなみに65歳以上は30%。現役世代1,9人で65歳以上1人を支えることになります。今の制度のままで制度が存続できるのでしょうか?高齢者の方も大変でしょうが、現役世代も自分たちの生活に余裕があるわけではありません。だんだん少なくなる現役世代が、増え続ける高齢者世代への支援を続けることで、老若共倒れにならないように、いろんな制度改正が検討されているのですね。

年に不足はない

1.もう十分に年を取っていていつ死んでも不満はない。

2.年齢が若すぎるということはない。「結婚するにはー・い」            

(デジタル大辞泉〔小学館〕)              

「年には不足はない」少し前まで概ね80歳を過ぎた方のお葬式で聞かれた言葉です。しかし、最近では、全く聞かれなくなりました。人生100年時代になったので、それ未満なら不足があるのでしょうか。

あなたは、何歳までこの世で生きる予定ですか? 平均寿命までですか?健康寿命までですか?元気で毎日生き生きと活躍して生きられるなら、いつまででも生きたいですね。

でも、そうなんです。植物にも動物にも、もちろん人にも寿命があるのです。日本人の寿命は縄文時代、15歳ほどだったようです。長い間かけて少しずつ延びて昭和の終戦後初めて50歳を超えました。その頃『人生50年』と言われていました。そこからわずか70年で30歳も延びて、80歳超になりました。先日、『日本の75歳の気力体力は、20年前の65歳なみ。』と報道がありました。ご存じのとおり、栄養の改善、医療の進歩によるもので、素晴らしいです。

70代の方との話の中で、「昔の60歳ってすごくおばあさんに見えたよ。腰の曲がっている人もいたわ。それを今考えると骨粗しょう症だったのでしょう。でも、現在の60歳は、若々しいし、70歳過ぎてもこうして趣味に勤しむことができて幸せよ。」とおっしゃっていました。我々一般人も若返っていると実感しているということですね。

ところで、人の体の機能のピークは何歳でしょうか? 人生100年時代なので、半分の50歳でしょうか。では、スポーツ選手はいつ引退しますか?スポーツの種類にもよりますし、レジェンドと言われる方もいらっしゃいますが、平均を考えるなら、概ね30歳位ですよね。先の質問、人の体の機能のピークは、26歳です。26歳でピークを迎えたら、後はずっと下り坂。

下り坂が緩やかに、長ーくなっているのです。病気が出て治療し、完治します。若いうちは、それ以前と同じQOLを保つことができますが、年を重ねると入院ごとにQOLは下がります。QOL維持のために、栄養に気を配り、適度な運動し、頭を使うことで、歳に抗い、いつまでも健康でと頑張りますが、やはりこの世に生まれた以上、いづれはみんなに必ずゴールは訪れます。

「いつゴールがきても、後悔しない生き方を」とよく耳にします。また、「いつも新しいことに挑戦している人にとっては、いつゴールがきても、後悔する生き方になる。」という意見もあります。どういう生き方を選択するにせよ、高齢期に入ったら

『命には限りがある』ということをしっかり自覚して、自分のしたい夢を叶え、ご家族や周りの人に感謝の意を伝え、自分の生きてきた人生の引継ぎ方法も考え、一日一日を大切に生きていれば、自分の人生に満足でき、「年に不足がない」と言えるのではないのでしょうか。

縁とは~『マチネの終わりに』

出会いは、突然。そして必然。

出会うべくして出会った二人。感受性が同じで惹かれ合います。でも遠く離れているふたり。やっと進みだした二人の前に周りの妨害があってすれ違います。長く続く苦悩。妥協。それでも、縁があってまた人生が絡み合うことになります。

運命に翻弄される縁について深く考えながら帰宅してテレビをつけました。

『祝賀御列の儀』素敵な笑顔で優しく手を振る天皇皇后両陛下の映像が。

気ままに生きている一般人の私たちでも、楽しいことばかりではありません。辛いこと苦しいこと悲しいこと。ブルーになること数知れず。

国を背負う天皇陛下御一家の重圧は、計り知れない重さでしょう。「全力でお守りします。」そのお言葉どおり、お二人でそれを乗り越えてこられたのです。今日の雅子さまの晴れやかな笑顔と光る涙が、その喜びを表わされていたように思います。

そして、これからも前進していくためには、どんな決断行動が必要か、的確な判断をして、すばらしいご縁に繋いでいこうと思いを新たにした1日でした。

『縁』って本当に不思議。この広い世界の中で、同じ時に生きている70億人の中で、出会い、関わるのは、本当に奇跡。

私たちにも日々いろんな出会いがある。あの時、あの場所に行かなかったら、この方とお話していなかったら、あの時電話していなかったら、今の私たちはいない。子どもだって、孫だっていなかったかも知れません。本当に命って奇跡の連続だと痛感します。

日々の生活、仕事でもいろんな出会いがあります。そして、その時々、ひとつひとつの判断行動でどんどん結果が違ってきます。決定までには、自分自身の中でも葛藤があります。また、外からの妨害もあったり、今いる環境の中で障害があって、実行できないこともあります。今、こうして、自分がいられることに感謝しかありません。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えている。」映画の中の台詞です。過去に起こった事実も、未来になって環境や見方が変わることによって、過去の事実への感じ方も変わるということだそうです。皇后陛下の涙が、このことを物語っているように感じました。

未来の自分が、「良い人生だった。」と満足できる活き方をするために、一日一日一瞬一瞬を大切に、すばらしいご縁を紡いで、自分にも人にも優しく、正直に生きようと、思いを新たにした1日でした。

映画「最高の人生の見つけ方」を見ました

トリプル介護をしている友人から「この映画良いよ~」と言われました。『どうかなあ』と思ったけど、熱心に勧められたので行かない訳にはいきません。吉永小百合ファンの母への孝行のつもりで一緒に行ってきました。

友人からあらすじを聞いていたし、NHKで吉永小百合さんの密着番組も見ていたので、完全にネタバレ状態でしたが、ストーリーに引き込まれて何度も涙が。 正に終活! 思いの外とっても良かったです。

二人は、人生のゴールが見えてきたことにより、やりたいことリストを実践していろんなことに挑戦しました。それを実行していくのが幸せに見えました。でも、人ができないいろんな経験をすれば幸せでしょうか?部下をいっぱい率いていれば幸せでしょうか?お金がたくさんあれば幸せでしょうか?

それまで、二人はそれぞれに抱えていた想いを隠して生きてきました。実社会においても誰でもそうです。みんないろんな思いを言えずに生きています。『言わなくても分かっているはず』と互いに気付かないふりをしている人が多いのですが、本当は言わないと伝わりません。家族でも友人でも。二人は、旅の途中で本音を言い合い、お互いのためを思って行動し、本当に大切なものに気づきました。

自分自身の人生に悔いを残さないように、今までのわだかまりを解消して遺される家族のこれからの幸せな生活の道筋をつけ、それから社会のためにと最高のゴールを切りました。最高の人生を見つけたのです。『こんなに何もかもうまくいくかな』と思うけど、人生のゴールの切り方を決めるのは自分自身です。

この映画を勧めてくれた友人は、毎日分刻みの生活でいつも忙しくしています。映画など見に行く時間などとても無いように見えます。でもそういう忙しい人こそが、家族で話し合い、協力し合い、時間を作って心を高めています。「ぼーっと生きてんじゃねえよ。」と言われそうです。

「あなたに会えて良かった。」「最高の人生だった。」私もこう言ってゴールできるように1日1日を慈しんで大切に生きたいと思いました。

是非、皆さまもご覧くださいませ。

日本が世界の姥捨て山?!

終活セミナー後の雑談で、恐ろし~い、でも、本当に現実となるかもという話題に!

世界断トツトップで、高齢化が進んでいるわが国。皆さまは、人口ピラミッドを見たことがありますか。

        https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/08.pdf

この表の縦軸は年齢、横軸は人口を示しています。生き物としての一般的な形は、生まれたての赤ちゃんが一番多く、歳が上がっていくに連れて減っていくという形です。
人口ピラミッドの推移をご覧いただくとお分かりのように、2060年には、80歳オーバーの方が一番多く、若くなるにつれて人口が減っていきます。全体の人口も約9280万人に減少し、65歳以上約3380万人で高齢化率(全人口に対する65歳以上の割合)は40%。認知症患者は1150万人との予測もあり、全人口の12.4%となります。なんと全人口の8人に1人は認知症になる予測です。
現在でも、人手不足で、介護スタッフは足りないのに、2060年にはどんな社会になっているのでしょう。

日本の現役世代は、超高齢社会に社会保障費等への負担増に

健康保険料率は10%前後(労使折半)で、その中から後期高齢者支援金が支払われていまます。介護保険料率は1,73%(労使折半)。厚生年金保険料率は18,3%(労使折半)で世代間扶養として、現在の高齢者に年金として支払われています。

税金は、所得税、地方税を始め、いろいろ納付していますが、消費税が引き上げられたばかりですね。消費税増税分は、少子化対策として幼保無償化にも使われます。

社会保障費(医療費、介護費、年金)への税金からの負担はどんどん増加しているし、インフラの老朽化、生活保護受給者の増加等で、これからどうなっていくのでしょうか。

こういう現実から、我が子や孫には、「この国にいつまでも居なさい。」とは言えませんよね。それで、表題のような結論になったのです。こうした現実(働けど働けど、我が暮らし楽にならず・・・=高齢者に吸い取られるから)に嫌気して、若者はどんどん住みよい国へ、残るは私たち老人ばかり。老々介護、認々介護(軽い認知症者が重い認知症者を介護)が当たり前、介護スタッフは機械ばかり。日本全体が姥捨て山に。それならと他国からも高齢者が日本へと集まって来たりしてと。

平均寿命・高齢化率が低かった時の高齢者優先意識から、3,5人にひとりは高齢者となった今、希少価値の若者優先の意識に変えて、若者が生きやすい、少子化対策を必死に取り組まなければ、本当に日本は姥捨て山になってしまうかも!?

(写真は、日の入り前の輝きです。)

「死にゆく人の心に寄り添う」を読んで

「NHKクローズアップ現代+」で紹介された玉置妙憂さんの「死にゆく人の心に寄り添うー医療と宗教の間のケア」を読みました。

現役看護師である彼女は、「これ以上治療を続けない。」と言う夫を自宅で看取りました。治らないし、体が受け付けないにも関わらず最期まで治療を続け、かえって本人を苦しませることになる病院死とは全く違う、食べられなくなって自然のままに自分の体をきれいな状態にする穏やかな最期に価値観が変わり、出家して女性僧侶になりました。

半世紀前は、医療も今ほど進んでいなかったので自宅で見送るのが普通で、家族・親族・地域で見送っていたので、辛い中にも『こういうものだ』と教えてくれる人もいて安心感がありました。

現代は、生まれてくるのも死ぬのも命の現場は病院で、死にゆく本人も初めてのことだし、家族も看取る経験もないので、どうしたら良いのかと戸惑うのは当然のことです。見送った後も「あれで喜んでくれただろうか。もっとこうすれば良かったのではないか。」とグリーフ状態が続く人も多いのです。

彼女は、看護師として医療に従事して体のケアをし、臨床宗教師として死にゆく人そしてその家族の心に寄り添いケアしています。助けてもらった人は本当に満足だと思います。

昔は、地域で行っていた人生のイベントが、結婚式は式場、病気は病院、葬儀は葬儀社と専門家に任せるようになっています。看取りにもサポートしてくれる専門家が必要となり、臨床宗教師や前回ブログの『みとりし』も誕生しているのでしょう。

高齢化はどんどん進み、すでに多死社会に入っています。専門家を頼るのも必要なことではありますが、みんなが頼れる訳ではありません。事前に自分で知識を持つのも大切だと思います。

この世に生きているすべての生き物は、必ず終わりを迎えます。永遠の命などありえないのです。そのことを考えていない人が多い。「縁起でもない」と気付かないふりをしています。

QOD(Quality of die 死の質)。2010年、イギリスの雑誌『エコノミスト』が提唱した概念です。『終わりよければ全て良し」というではありませんか。「若いから大丈夫」「元気だから大丈夫」「私に限って大丈夫」いやいや、いつ何が起こるか分かりませんよ。「病院死はどうなる。」「自然死はどうなる」という知識を持って、自分はどんなゴール迎えたいのか、そのためにはどこを選択するべきなのかを考えましょう。そして、家族親族と命の話し合いをしましょう。体の状態が変わり、気持ちが変わったらまた話し合えば良いのです。そして、幸せなゴールを迎えましょう。遅かれ早かれ必ずその時はやってきます。

 

不登校ってなあに?

連島公民館の人権教育講演会に参加しました。

NPO法人KUKKAは、不登校児とその家族を支援する団体で、不登校児のフリースペース『居場所』を連島公民館で開催しています。 その代表と副代表の講演をお聞きしました。

不登校児に「どうして、学校へ行けないの?」と聞いても、子ども自身もいろんな要素が絡み合っていてよく分からないので、うまく説明できません。

家族は、とにかく学校へ行かせようとしがちですが、辛くて敵わない時にそれは酷なことです。

本人も家族も辛いので、『行けなくて、どうするんだ。』という昭和の叱咤激励は、苦痛以外のなにものでもありません。

(写真のがまの穂綿のような)大きな愛で、優しく包んで、あるがままの状態を受け入れてください。そうすれば、本人も一歩踏み出せるようになります。

サナギの季節を知っていますか? 殻の中は外からは見えないけれど、殻の中で生きている命があります。無理やり引っ張り出すとどうなりますか? 十分成長すれば、自分から飛び立ちます。  

ということでした。

『効率重視』『○○するべき』との価値観の社会。おとなも子どもも生きにくい時代ですね。認知症でも介護でも、アンガーマネジメントでも、対応は同じ。「『○○すべき』という概念にとらわれず、あるがままの状態を受け入れて、本人の立場になって考える。」が大切です。

社会全体が、それぞれの個性を生かし、多様な生き方を認め、みんなが笑顔で健全な人生を送れるようにしたいですね。

映画「みとりし」を見てきました

柴田久美子さん原案、俳優の榎木孝明さんが主演を務めた映画「みとりし」を中国地方唯一上映しているイオンシネマ岡山で見ました。

いうまでもなく、わが国では少子高齢化が進み、『終活』の必要性も増しています。2025年、団塊の世代の方々が後期高齢者となり、多死社会に突入します。いろんな団体が、「みんなのハッピーのため」という大きな目的の元、いろんな思いで多岐にわたる項目についてそれぞれの活動をされています。この、看取り士は、人生の最期を幸せにと、看取りに特化した団体なのでしょう。

近代は、病院死が約80%で、人の死に接しない社会。でも、希望は最期まで自宅でという方が約60%。増大する医療費対策で、病床は減ってくるので、看取り難民があふれます。どう見送れば良いか分からないという状況が発生します。

生まれる時も病院、死ぬのも病院で、「どこまで治療しますか。」と、なかなか死なせてもらえません。病院の中でどう生まれて、どう死んでいくのか、見えません。分かりようがないのです。

50年前、祖父が、脳溢血になり、当時は治療法もなく、自宅で1週間寝続け、家族みんなで見送りました。子供だった私も、みんな泣きながら体をさすっているその光景を今でも鮮明に覚えています。1970年代、病院死が自宅死を上回るまでは、自宅での見送りが当然こととして行われていました。

私の母は言いました。「昔は、生まれてくるのも、死んでいくのも自然の中の当たり前のことだった。でも今は、生きていくのも死ぬこともとても難しい時代になった。」

介護サービス、在宅医療を利用しつつ、できるだけ自然にハッピーなゴールを迎えたいものです。

命のゴールの仕方を考えよう

あなたは、ご自身の命のゴールの仕方を考えたことがありますか。
この世に生まれてきた以上、全ての命は必ずゴールを迎えます。
かつて、「私は、死にましぇーん。」というドラマの名場面があり、感動しましたね。でも、いずれはみんなその時がきます。「縁起でもない。」と、考えたくない気持ちは誰しも同じです。
今の世の中、いつ、何が起こるか分かりません。
ご自身のゴールはどうしたいかをイメージしてみることが大切です。
まず、考えることは、ご自身の命で最も重視することは、何かということです。
どんな形でもよいから、1分1秒でも ただ長く生き延びたいという長さですか?
それとも、多少短くなっても良いから、自分らしく尊厳をもって生きる という命の質(QOL)ですか?

その答えは、ご自分の命ではどうですか?
愛するご家族の場合はいかがですか?
それは、イコールですか?
イコールでない方は、ご自分が嫌なことを愛するご家族に
強いるのですか?

まず、ご自身のことを考え、次にご家族と命への想いをしっかり話し合いましょう。
お元気な今だからこそ話し合えることです。
『あの時話していれば』という後悔が続いている方がたくさんいらっしゃいます。
みんなが、悲しさの中にも満足のいくゴールを迎えられますように。