日本が世界の姥捨て山?!

終活セミナー後の雑談で、恐ろし~い、でも、本当に現実となるかもという話題に!

世界断トツトップで、高齢化が進んでいるわが国。皆さまは、人口ピラミッドを見たことがありますか。

        https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/08.pdf

この表の縦軸は年齢、横軸は人口を示しています。生き物としての一般的な形は、生まれたての赤ちゃんが一番多く、歳が上がっていくに連れて減っていくという形です。
人口ピラミッドの推移をご覧いただくとお分かりのように、2060年には、80歳オーバーの方が一番多く、若くなるにつれて人口が減っていきます。全体の人口も約9280万人に減少し、65歳以上約3380万人で高齢化率(全人口に対する65歳以上の割合)は40%。認知症患者は1150万人との予測もあり、全人口の12.4%となります。なんと全人口の8人に1人は認知症になる予測です。
現在でも、人手不足で、介護スタッフは足りないのに、2060年にはどんな社会になっているのでしょう。

日本の現役世代は、超高齢社会に社会保障費等への負担増に

健康保険料率は10%前後(労使折半)で、その中から後期高齢者支援金が支払われていまます。介護保険料率は1,73%(労使折半)。厚生年金保険料率は18,3%(労使折半)で世代間扶養として、現在の高齢者に年金として支払われています。

税金は、所得税、地方税を始め、いろいろ納付していますが、消費税が引き上げられたばかりですね。消費税増税分は、少子化対策として幼保無償化にも使われます。

社会保障費(医療費、介護費、年金)への税金からの負担はどんどん増加しているし、インフラの老朽化、生活保護受給者の増加等で、これからどうなっていくのでしょうか。

こういう現実から、我が子や孫には、「この国にいつまでも居なさい。」とは言えませんよね。それで、表題のような結論になったのです。こうした現実(働けど働けど、我が暮らし楽にならず・・・=高齢者に吸い取られるから)に嫌気して、若者はどんどん住みよい国へ、残るは私たち老人ばかり。老々介護、認々介護(軽い認知症者が重い認知症者を介護)が当たり前、介護スタッフは機械ばかり。日本全体が姥捨て山に。それならと他国からも高齢者が日本へと集まって来たりしてと。

平均寿命・高齢化率が低かった時の高齢者優先意識から、3,5人にひとりは高齢者となった今、希少価値の若者優先の意識に変えて、若者が生きやすい、少子化対策を必死に取り組まなければ、本当に日本は姥捨て山になってしまうかも!?

(写真は、日の入り前の輝きです。)

「死にゆく人の心に寄り添う」を読んで

「NHKクローズアップ現代+」で紹介された玉置妙憂さんの「死にゆく人の心に寄り添うー医療と宗教の間のケア」を読みました。

現役看護師である彼女は、「これ以上治療を続けない。」と言う夫を自宅で看取りました。治らないし、体が受け付けないにも関わらず最期まで治療を続け、かえって本人を苦しませることになる病院死とは全く違う、食べられなくなって自然のままに自分の体をきれいな状態にする穏やかな最期に価値観が変わり、出家して女性僧侶になりました。

半世紀前は、医療も今ほど進んでいなかったので自宅で見送るのが普通で、家族・親族・地域で見送っていたので、辛い中にも『こういうものだ』と教えてくれる人もいて安心感がありました。

現代は、生まれてくるのも死ぬのも命の現場は病院で、死にゆく本人も初めてのことだし、家族も看取る経験もないので、どうしたら良いのかと戸惑うのは当然のことです。見送った後も「あれで喜んでくれただろうか。もっとこうすれば良かったのではないか。」とグリーフ状態が続く人も多いのです。

彼女は、看護師として医療に従事して体のケアをし、臨床宗教師として死にゆく人そしてその家族の心に寄り添いケアしています。助けてもらった人は本当に満足だと思います。

昔は、地域で行っていた人生のイベントが、結婚式は式場、病気は病院、葬儀は葬儀社と専門家に任せるようになっています。看取りにもサポートしてくれる専門家が必要となり、臨床宗教師や前回ブログの『みとりし』も誕生しているのでしょう。

高齢化はどんどん進み、すでに多死社会に入っています。専門家を頼るのも必要なことではありますが、みんなが頼れる訳ではありません。事前に自分で知識を持つのも大切だと思います。

この世に生きているすべての生き物は、必ず終わりを迎えます。永遠の命などありえないのです。そのことを考えていない人が多い。「縁起でもない」と気付かないふりをしています。

QOD(Quality of die 死の質)。2010年、イギリスの雑誌『エコノミスト』が提唱した概念です。『終わりよければ全て良し」というではありませんか。「若いから大丈夫」「元気だから大丈夫」「私に限って大丈夫」いやいや、いつ何が起こるか分かりませんよ。「病院死はどうなる。」「自然死はどうなる」という知識を持って、自分はどんなゴール迎えたいのか、そのためにはどこを選択するべきなのかを考えましょう。そして、家族親族と命の話し合いをしましょう。体の状態が変わり、気持ちが変わったらまた話し合えば良いのです。そして、幸せなゴールを迎えましょう。遅かれ早かれ必ずその時はやってきます。