延命治療とは14 親の介護で失うもの

私は、父の見送りから、命の尊厳を守るため、いろんな方の体験を組み合わせて延命治療の説明絵本「桜のようにいきたい」を作成し、延命治療についてお話をしています。

主人公のよしこおばあちゃんは、ずっと元気だったけれど、95歳で老衰状態になって、口から食べられなくなりました。本人は、「自然のままにさせて」と言ったけれど、ご家族の意向で胃ろうを施され、一旦は元気になったものの、3年を過ぎると、意識もなく手足が拘縮してしまいました。 

今回は、よしこおばあちゃん102歳、胃ろうから7年の話です。ずっとよしこおばあちゃんのお世話をしていた長男の妻であるあばあちゃんが、突然旅立ちました。夜中にトイレで倒れていたのです

家族は悲しく、ひ孫が言います。「何のためにひいおばあちゃんを長生きさせているの?おばあちゃんの命を縮めることになったのかもね。おばあちゃんは幸せだったかなあ?」。介護施設にお願いしているとは言え、おばあちゃんも後期高齢者。洗濯物のお世話とかで施設へ行ったり来たり、心身共に負担が大きかったのかも知れません。

ちなみに、厚生労働省の資料によると、平均寿命は、戦後の1947(昭和22)年 男性 50.06歳、女性 53.96歳でした。あれから73年。2020年7月31日に厚生労働省が発表した2019年の平均寿命は男性81.41歳、女性87.45歳。と70年で30年以上平均寿命が延びたのです。

それに対して2016年厚生労働省発表の健康寿命は、男性72.14歳、女性74.79歳でその差である 健康上の都合で生活に支障がある期間は、男性9.27年、女性12.66年。この数字はあくまで平均値です。生活に支障と言っても、最初から要介護という訳ではない人も多いでしょうが、この期間は、本人も介護者もしんどい訳です。子育ては、何歳になればどの位成長するか、大体の予想がつきます。それでも大変なんですが、介護では、これがいつまで続くか分からないという不安があるのです。

そもそも、動物には、子の面倒はみても、親の老後をみるというDNAは無いそうです。命のバトンタッチが終われば、役目は終わりで、孫ができるまで生きていない種が多く、孫の世話をするのは人間とまっこうくじら・シャチ・象位だそうです。それも人間以外は介護もしません。

70年前「人生50年」と言われた頃は、介護が必要になるまで生きなかったのです。だんだん寿命が延びてきて下り坂が長くなっているのです。そして、介護保険制度ができたのが2000年。当初の要介護者数は、218万人、2020年3月末668万人と20年で約3倍になっています。実際、私も20年前はまだ若かったし、介護者の方にお会いすることは少なくて、介護者家族の会なども殆どなく、数少ない介護者同士が出会うと「介護は大変だ」と話をしているイメージでした。今の私、親の介護真っただ中の世代になり、友人と会うと親の介護の話ばかりです。そのくらい介護が当たり前となっているのです。

「親の介護」には子供の「時間」「気力」「体力」「お金」が必要です。しかも長生きするので、介護も老々介護。この絵本のよしこおばあちゃんの長男の妻も後期高齢者。よしこおばあちゃんを無理やり生かしている心労が積み重なっていたと言っても過言ではない状態でした。

よしこおばあちゃんの願いはどうだったでしょうか?そして、家族の心労は延々と続きます。この家族は、どこでボタンを掛け違えたのでしょうか?逝く人も遺る人も幸せな人生を歩みたいです。

決断は突然迫られます。生きていてほしいと思い悩みますが、その時、後悔のない対応ができるように家族間でしっかりと命の話し合いをしてくださいね。

延命治療とは13 安楽死

私は、父の見送りから、命の尊厳を守るため、いろんな方の体験を組み合わせて延命治療の説明絵本「桜のようにいきたい」を作成し、延命治療についてお話をしています。

主人公のよしこおばあちゃんは、ずっと元気だったけれど、95歳で老衰状態になって、口から食べられなくなりました。本人は、「自然のままにさせて」と言ったけれど、ご家族の意向で胃ろうを施され、一旦は元気になったものの、3年過ぎると、意識もなく手足が拘縮しています。 今回は、よしこおばあちゃんの家族のお話をします。

今、家族は、あの時、生きていてほしいと胃ろうを選択したことを後悔してもしきれない状態です。面会に行ってもおばあちゃんの意識はないので、何の反応もありません。手足は拘縮して尊厳のない姿になっています。おばあちゃんは、どう思っているでしょうか?ずっと寝たままのこの状態。家族は、辛くて申し訳なさすぎて、施設への足も遠のきがちです。

それでも、家族は話し合いをし、意を決して、施設側へ相談を持ち掛けます。医師とケアマネジャーと家族での話し合いの場を設けていただきました。丁寧にお世話をしていただいているので、言いにくいのですが、「無理やり生かされている今の状態は見るに忍びないので、胃ろうを外してほしいのです。」とよしこおばあちゃんの長男であるおじいちゃんが切り出します。医師は、「一旦、胃ろうを付けてしまうと、人道的な問題やいろんな問題があり、外すのは大変難しいのです。」と言いました。

どうして外してくれないのでしょうか?

それは、簡単に言うと、外すと生命を維持できなくなり患者は死亡しますので、安楽死として殺人罪に問われるかも知れないからです。それでは、安楽死について考えてみましょう。

安楽死には2 種類あります。1.積極的安楽死いわゆる安楽死と2.消極的安楽死いわゆる尊厳死です。1.安楽死は、医師などが薬物などを使って患者の死期を積極的に早めること。 2.尊厳死は、延命治療をせずに自然死を迎えること。日本での法律に照らすと1.積極的安楽死は違法です。

2006年射水(イミズ)市民病院事件が公表されました。ある医師が、本人或いは家族に依頼されて末期患者の人口呼吸器を外したのです。家族も被害者意識がなく、人工呼吸器取り外しと死亡の因果関係が十分に証明できないために不起訴処分となりました。この事件をきっかけに,延命治療中止を含めた終末期医療全般の倫理的なあり方に関して社会的に議論が進み,これまで厚生労働省や日本救急医学会,日本老年医学会など,関連機関・学会がガイドラインを公表してきました。

これらのガイドラインを遵守して,患者や家族等を交えた関係者による慎重な決定プロセスを踏んだ結果として行われるなら,倫理的に正当であり,殺人罪に問われる可能性は低いのです。

日本では延命治療の中止や差し控えについて,医師の刑事責任の免責基準を明確に示した法律は今のところありません。また,これまでいくつかの延命治療中止の事例が刑事事件化してきました。そのため,医療現場では,たとえ患者本人や家族が中止の意思を示していても,「治療中止は殺人罪に問われるのではないか」という懸念があるという訳です。

いざとなると、生きていてほしい、もしかしたらまた元気になってくれるかもと思い悩みますが、迷ったら自分がしてほしいように対応したいものです。その時、後悔のない対応ができるように家族間でしっかりと命の話し合いをしてくださいね。

よしこおばあちゃんは、この後どうなるでしょうか?続きは次回ということにします。是非ご覧ください。