不登校ってなあに?

連島公民館の人権教育講演会に参加しました。

NPO法人KUKKAは、不登校児とその家族を支援する団体で、不登校児のフリースペース『居場所』を連島公民館で開催しています。 その代表と副代表の講演をお聞きしました。

不登校児に「どうして、学校へ行けないの?」と聞いても、子ども自身もいろんな要素が絡み合っていてよく分からないので、うまく説明できません。

家族は、とにかく学校へ行かせようとしがちですが、辛くて敵わない時にそれは酷なことです。

本人も家族も辛いので、『行けなくて、どうするんだ。』という昭和の叱咤激励は、苦痛以外のなにものでもありません。

(写真のがまの穂綿のような)大きな愛で、優しく包んで、あるがままの状態を受け入れてください。そうすれば、本人も一歩踏み出せるようになります。

サナギの季節を知っていますか? 殻の中は外からは見えないけれど、殻の中で生きている命があります。無理やり引っ張り出すとどうなりますか? 十分成長すれば、自分から飛び立ちます。  

ということでした。

『効率重視』『○○するべき』との価値観の社会。おとなも子どもも生きにくい時代ですね。認知症でも介護でも、アンガーマネジメントでも、対応は同じ。「『○○すべき』という概念にとらわれず、あるがままの状態を受け入れて、本人の立場になって考える。」が大切です。

社会全体が、それぞれの個性を生かし、多様な生き方を認め、みんなが笑顔で健全な人生を送れるようにしたいですね。

映画「みとりし」を見てきました

柴田久美子さん原案、俳優の榎木孝明さんが主演を務めた映画「みとりし」を中国地方唯一上映しているイオンシネマ岡山で見ました。

いうまでもなく、わが国では少子高齢化が進み、『終活』の必要性も増しています。2025年、団塊の世代の方々が後期高齢者となり、多死社会に突入します。いろんな団体が、「みんなのハッピーのため」という大きな目的の元、いろんな思いで多岐にわたる項目についてそれぞれの活動をされています。この、看取り士は、人生の最期を幸せにと、看取りに特化した団体なのでしょう。

近代は、病院死が約80%で、人の死に接しない社会。でも、希望は最期まで自宅でという方が約60%。増大する医療費対策で、病床は減ってくるので、看取り難民があふれます。どう見送れば良いか分からないという状況が発生します。

生まれる時も病院、死ぬのも病院で、「どこまで治療しますか。」と、なかなか死なせてもらえません。病院の中でどう生まれて、どう死んでいくのか、見えません。分かりようがないのです。

50年前、祖父が、脳溢血になり、当時は治療法もなく、自宅で1週間寝続け、家族みんなで見送りました。子供だった私も、みんな泣きながら体をさすっているその光景を今でも鮮明に覚えています。1970年代、病院死が自宅死を上回るまでは、自宅での見送りが当然こととして行われていました。

私の母は言いました。「昔は、生まれてくるのも、死んでいくのも自然の中の当たり前のことだった。でも今は、生きていくのも死ぬこともとても難しい時代になった。」

介護サービス、在宅医療を利用しつつ、できるだけ自然にハッピーなゴールを迎えたいものです。

命のゴールの仕方を考えよう

あなたは、ご自身の命のゴールの仕方を考えたことがありますか。
この世に生まれてきた以上、全ての命は必ずゴールを迎えます。
かつて、「私は、死にましぇーん。」というドラマの名場面があり、感動しましたね。でも、いずれはみんなその時がきます。「縁起でもない。」と、考えたくない気持ちは誰しも同じです。
今の世の中、いつ、何が起こるか分かりません。
ご自身のゴールはどうしたいかをイメージしてみることが大切です。
まず、考えることは、ご自身の命で最も重視することは、何かということです。
どんな形でもよいから、1分1秒でも ただ長く生き延びたいという長さですか?
それとも、多少短くなっても良いから、自分らしく尊厳をもって生きる という命の質(QOL)ですか?

その答えは、ご自分の命ではどうですか?
愛するご家族の場合はいかがですか?
それは、イコールですか?
イコールでない方は、ご自分が嫌なことを愛するご家族に
強いるのですか?

まず、ご自身のことを考え、次にご家族と命への想いをしっかり話し合いましょう。
お元気な今だからこそ話し合えることです。
『あの時話していれば』という後悔が続いている方がたくさんいらっしゃいます。
みんなが、悲しさの中にも満足のいくゴールを迎えられますように。